2012/03/22

タコスとアミーゴ





ー 38日 ー
カンクンからメキシコシティへ飛行機で移動。
メキシコの首都であるメキシコシティの人口は約2000万人。
メキシコの人口が1億700万人くらいなので、
なんと人口の約5分の1がメキシコシティに住んでいる事になる。
旅中に訪れた中で今のところ一番の大都市かもしれない。

空港へは午後3時くらいに到着した。
到着すると、タクシーで宿まで向かう。
地下鉄で行く方が断然安いのだが、
場所も全然把握できていないし、荷物も多いのでタクシーにした。
宿の名前は「ペンション・アミーゴ」(ここも予約なし)。
ネットで調べていた日本人宿だ。
シティでは色々情報収集したいこともあったし、
宿泊費も安く済むので日本人宿に泊まろうとしていた。

空港で呼ぶタクシーは場所によってあらかじめ値段が決まっている。
カウンターのおばちゃんに「ジャパニーズペンション・アミーゴまで」と
伝えると分かった様子だったので、そのままタクシー乗り場へ。
しかし、いざタクシーに乗り込むと、運ちゃんは完全にペンション・アミーゴを知らない様子。
しかも最悪な事に、今まで空港からタクシーで行く場合
みんな運ちゃんが知っているパターンだったので、
今回は甘く見て住所と地図をスクリーンショットし忘れていた。
色々聞いてくるが、英語は全然通じず、全てスペイン語なので全く意味が分からない。
近くの駅名を言っても全く伝わらず、とりあえずペンション・アミーゴを連呼してみた。
すると「ホステル・アミーゴ?」
とちょっと近い言葉を言ってくる運ちゃん。
もしかしたらペンションっていうのは日本人が使ってるだけで、
現地の人はホステルって呼んでるのかもしれない。
そう思って「シー、シー、ジャパニーズホステル?」と聞き返すと
「シー、シー」と言ってくる。
おっ、どうやらホステル・アミーゴがこっちだと正解らしい。
なんとか伝わってやっと安心。
こうしてホステル・アミーゴへ向かう事となった。

行き先も落ち着き、外を見渡すとメキシコシティはやはり都会だ。
南米と比べると建物の大きさもきれいさも明らかに違う。
さすが世界都市メキシコシティ。南米(と言ってもペルー、ボリビア)と中米の差を感じる。
信号で止まっていると、さらに驚く出来事があった。
なんと車線の間を縫ってドリンクやお菓子を売っている人がいる。
他にも大道芸や、雑なフロントガラスの窓磨きまで。
全てが信号待ちをしている間での仕事で、
信号が赤から青に変わるまでの一瞬の間での出来事だった。

そんな不思議な光景に見とれながら、20~30分くらいで
タクシーは目的地に到着。
見るとそこには「ホステル・アミーゴ」と書かれた看板。
ネットで見た外観とは全く違った。
嫌な予感はするがとりあえず降りて確認してみる。

やはり完全に「ペンション・アミーゴ」とは別物だった。

住所が分からない以上、
これ以上はもう説明のしようがないので、とりあえず降りることに。
アミーゴ違いのホステルに入り、ペンション・アミーゴがどこなのか、
むしろ今ここがどこなのかをフロントのお姉さんに聞いてみる。
色々パソコンで探してみてくれたが、どうやらお姉さんも知らないらしく困惑気味。
すると「パスポート見せてくれたら、うちのパソコン使っていいよ」
と言ってくれるお姉さん。
マジでいい人!!
お礼を言って、なんとかホテルのパソコンを使わせてもらい、
「ペンション・アミーゴ」の本当の住所をゲット!
お姉さんに住所を伝えると、なんとタクシーまで笑顔で手配してくれた。
ホントにいい人!!ムチャス グラシアス!!

タクシーが到着すると、お姉さんに別れを告げ、
本物の「ペンション・アミーゴ」へと向かった。
ホステル・アミーゴからは約20分ほどで本物の宿に到着。
玄関にはひらがなで「ぺんしょん・あみーご」と書かれていた。
やっとネットで見た入り口が現れて、安堵した。
ブザーを押し、中に入る。
吹き抜けの天井で中は3階建て。
開放感があり、とても広く感じた。
チェックインすると個室部屋は空いてなかったのだが、管理人さんの計らいで
ドミトリーの三人部屋をうちら二人に使わせてくれた。
バス・トイレ共同、朝食付きで一泊一人約90ペソ(800円くらい)。

部屋で一息つくと、なんだかんだですぐ夜になっていたので、
近くの屋台で夕食を済ませ、情報収集のため共同リビングへと向かった。
中には管理人さんと談笑している3人の日本人。
情報ノートをパラパラとめくりながらふと見ると、
そのうちの一人の女性に見覚えがあった。
ラパスの道ばたで迷子になっていたところにたまたまうちらが通りかかり、
道案内をした女性にどことなく似ている。
その時も長く話したわけではないので、確信はもてなかったのだが、
「あの~、もしかして、ラパスで迷子になってました?」ととりあえず聞いてみた。

女性はうちらの顔をまじまじと見て
「あ~、あの時の!!あの時は本当に助かりました!!ありがとうございました!」
と驚きながらも笑顔で近づいて来た。

ラパスの道端から、メキシコシティの宿でのまさかの再会。
この時期の中南米日本人旅行者のルートはかなりかぶってて面白い。

女性の名前はノゾミさん。
ドイツに美術史専攻で留学していた経験があり、
話をしているとお互いの美術の感覚が驚くほど近い。
翌日一緒にディエゴ・リベラとフリーダ・カーロの生家と
フリーダ・カーロ博物館を見に行く約束をしてこの日は早めに眠った。
フリーダ・カーロはメキシコ出身の画家の一人で、
その端正な容貌や奔放な恋愛遍歴は、何度か映画化される程有名。
ディエゴはメキシコの有名な画家でフリーダの夫。

ー 3月9日 ー
メキシコ初の地下鉄に乗り、まずはフリーダ・カーロの生家へと向かう。

メキシコは地下鉄が重要な交通機関として発達していて、
めちゃめちゃ安い上に、なにかと面白いことが多い。
券売機はなく切符は全ておばちゃんの手売り制で、
どこまで行っても何度乗り換えても改札入って出るまでで一律3ペソ。
しかもおばちゃんは電話しながら、パンを食いながらさばいてくる。
時刻表などはないが相当な数が利用するため一日の本数は山手線以上だし、
ブザーなどは一切鳴らず、人が挟まろうが容赦なくドアは高速で閉まる。
最初に乗ったときは、あまりの早さにちぃとはぐれてしまい、
次の駅で合流する羽目になった。

乗ったら乗ったでまた面白い地下鉄。
一駅ごとに様々な売り子がうまいこと交代で乗ってくる。
ボールペンを売る人、石鹸を売る人、CDを売る人。
中には、ミュージシャンやマジシャンがチップをもらいに
社内でパフォーマンスまでしてくる。
絶対こんなとこで石けん買うやついないだろ、と思うと
意外に買う人がいるから面白い。(サクラかもしれないけど)

2回ほど地下鉄を乗り換え、目的地の最寄駅に到着。
昼食は屋台の一つ5ペソのタコスで済ませた。

フリーダ・カーロの生家に向かうには実は大きな問題がある。
地球の歩き方を見ながらここまで来ているのだが、
なんと正確な場所が載っていない。
歩き方の指示では「駅から徒歩約15分」。それだけ。
南米はいい加減な情報が多い地球の歩き方。方向も住所も全く分からなかった。
とりあえず、地元の人に聞きまくりながら進み始めるが、
なかなか見つからない。15分以上歩いても見つからないので、
近くまで来ている事は確かだからと仕方なくタクシーで向かうことにした。

通りに出てタクシーを止める。
難しそうな場所なので、乗る前にまず窓越しに「ディエゴとフリーダの家に行きたい」
と地球の歩き方を見せながら説明し、「フリーダ・カーロ博物館の方じゃないよ」と付け加えた。
すると、「分かった、乗りな」というのでとりあえず乗ってみることに。
助手席に乗り、再び地球の歩き方で「ここね」と見せると、
ガン見してくる運転手。信号よりも地球の歩き方に夢中になっていた。
不安がよぎる。
すると何やら喋りだす運転手。
いつも通りスペイン語なので何言ってるのか全く分からない。
イタリア語が分かるノゾミさんが通訳してくれることには(スペイン語とイタリア語は似ている)
「家は分からないから、博物館の方に連れてくよ」と言い出したらしい。
博物館はうちらが今まで進んできた向かう方とは正反対に位置する場所。
いやいや、全然そっち行かなくていいから!
順調にそっちに向かい始める運転手。
知ってる、って言うから乗ったのにマジいい加減。
すぐに「バハン!(降りる)」と言うと、
あれ、ここで降りるの?みたいな顔をしてくる。
腹が立ちながらも、ちゃんとお金は払い、次こそはちゃんと知っている
タクシーを見つけることにした。

逆車線に移り2台目のタクシーを止めて
さっき以上にしつこく何度も確認する。
今度はどうやら本当に知っているらしい運転手。
こうしてなんとか2台目のタクシーでディエゴとフリーダの家に到着した。

死後そのままにされているという二人の家。
先にディエゴの部屋を見ることにした。
部屋に入ると、制作途中の絵画に絵の具や道具、様々なコレクションに、
どこか間の抜けた巨大なかわいい人形などが大量に置かれていた。
ディエゴの部屋は軽めに流し、うちらが見たかったフリーダの部屋へと向かう。
真っ先に目に飛び込んでくるのは真っ青に塗られた壁。
全面が鮮やかな青で塗りつぶされていた。
期待を胸に階段を上がろうとするとなぜか止めてくるスタッフ。
訳が分からず、スタッフを見ると「クローズ」と冷たい表情で伝えてくる。

やっとの思いでここにたどり着いたのに、まさかのクローズ。
試しにもう一度入ろうとしてみると、ちょっと強めに止められた。

残念な事態に生家は早々に切り上げ、フリーダ・カーロ博物館へと向かうことにした。
用事があるノゾミさんとはここで一度別れる。
夜はメキシコシティに来た最大のイベント
覆面プロレス「ルチャ・リブレ」が控えているので、あまり時間がない。
博物館へはバスとタクシーを乗り継ぎ急いで向かった。

こちらもあまり有名ではないのか、博物館へは2台目に止めたタクシーで到着した。
フリーダが晩年過ごした家を博物館にしただけあって外観は青で統一されていた。
中に入ると綺麗な白い壁に、所々黄色や青など鮮やかな色がさし色で入っている。
センスのいい色使い。置かれているインテリアやグッズなど、全てがオシャレだった。
博物館自体にはフリーダの作品はほとんど展示されてなく、
フリーダの愛用品やコルセット、キッチン・ベッドなど生活感を残したまま保存されている。

展示を見終わりギフトショップも堪能すると、
再度ルチャ・リブレの会場への行き方などの情報確認をするため一度宿へと戻った。
正義と悪役に分かれた覆面レスラー達が繰り広げる、
アクロバティックなメキシコの伝統的なプロレスショー、「ルチャ・リブレ」。
「ナチョ・リブレ」という映画を見たときからずっと見たかった。
値段は一番安い席で35ペソ。高くても2、300ペソくらいまでしかしない。
開催日は火・金・日の3日間で、会場も3つくらいに分かれている。
カンクンを木曜日に出たのもこの金曜日に合わせるためだった。

うちらが見た金曜日の試合は、約1万人収容することができる
一番大きな会場「アリーナ・メヒコ」で行われた。
地図を頼りに宿から地下鉄で最寄駅に向かい、会場を目指す。
駅を出て、思ったよりルチャ感の弱い会場に辿り着くと、
覆面やTシャツなどのグッズのお店が周りを囲み盛り上がっていた。
まずはチケットを買いに売り場を探す。すると真っ先に声をかけてきたダフ屋。
高めのいい席を勧めてくるが、ダフ屋がいるのは正規のチケット売り場の真横。
完全にもっと安い席が正規の場所で売られていた。
しかも、この正規の場所で買った方が安いけど、的なことまで教えてくれる。
親切なダフ屋。誘いは丁重に断り、75ペソのチケットを購入した。

試合は夜の8時半開始なので、それまで近くの屋台で腹を満たして待機。
開場が始まると、荷物チェックを受け中に入った。
中に入ると、外観からは想像もできない程ちゃんとした会場だった。
豪華に飾られた選手たちの登場口、センターにはデカいスクリーン。
ライトに照らされたTHEアリーナな円形上の建物で、
席も3階席くらいまである。アリーナの広さと活気に期待も高まった。

司会者の合図とセクシーなラウンドガールのダンスによりついに始まる試合。
覆面をしたマッチョな覆面レスラー達が次々とリングに上がってくる。
3対3や女子プロ、マンツーマンの試合など計5試合で組まれた試合は
バリエーションもあり、アクロバティックでとても面白かった。
(女子プロには「AYUMI」という日本人女性まで参加していた)
夜も遅くなったので、最後の試合の途中で帰ったが、それでも11時過ぎ。
試合時間は約3時間ほどもあるらしい。

満員の地下鉄にもまれ、結局宿に帰ってきたのは12時近く。
この日のスケジュールはキツキツだったので、
疲れていたせいか部屋に戻るとそのまま寝てしまった。






ペンション・アミーゴ



地下鉄とはぐれた後合流した時のドア




屋台


でかすぎるフルーツジュース


ディエゴとフリーダの家




フリーダ・カーロ博物館




ルチャリブレ

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