2012/12/26

世界で一番好きな礼拝堂





ー 1024日 ー
パリにいる間にどうしても見たいものがあったため、
今日は片道4時間以上という、かなりの長距離日帰りプチ旅行を決行することに。
全てを含めると往復の移動だけでなんと半日近くもかかってしまう。
しかも交通費は往復一人約1万円。
それでもそれだけはどうしてもこの目で見てみたかった。

それはみほさんが教えてくれた、辺鄙な田舎町にある小さな教会。
ノートルダム・デュ・オー礼拝堂(Chapelle Notre-Dame du Haut)。
日本ではロンシャンの礼拝堂と呼ばれている、
フランスの超有名建築家ル・コルビュジェが晩年に設計したものだ。
元々巡礼の地であったロンシャンには中世に建てられた礼拝堂があったのだが、
第二次世界大戦の際に、ナチス・ドイツの空爆により破壊。
戦後、ロンシャンの人々は再建を願い、アラン・クチュリエ神父の推薦により
ル・コルビュジエに設計が依頼され、1950年に設計が始まり、1955年に竣工した。

前に雑誌BRUTUSの建築特集でこの写真を見た時にやたら印象に残っていた礼拝堂。
いつかはこの目で見てみたいと思っていた。
前はただ漠然とそう思っただけで、特にどこにあるかも調べてなかったのだが、
まさかみほさんが一番好きな礼拝堂といって教えてくれた礼拝堂がこれだとは驚いた。

教えてもらった瞬間に決定した日帰りプチ旅行。
ただちに行き方を調べ、出発は大体朝の9時頃にした。
まずはLure行きの列車に乗り、
そこから各駅停車に乗り換えてロンシャン(Ronchamp)へ。
ここまでで約4時間。

ロンシャンの駅はとても小さな無人駅だった。
いや、むしろもう駅というかただのちょっとした歩道橋のある田舎の道だ。
辺りには人気もなく、家が見えたとしてもただのゴーストタウンにしか見えない。
あれ、マジでここであってるかな、、、
ここからはタクシーで礼拝堂へと向かう予定なのだが、
タクシーなんか通らないのは明らかだった。

ん~、とりあえず昼飯でも食おうか。

ネットで目星をつけていたパン屋もやっていなかったため、
唯一開いていたケバブ屋で昼食をとることに。
お客さんはもちろんうちらだけ。
近くに見えたホテルもとても人が泊まっているようには見えなかった。
礼拝堂がなければ100%来る事のない町。

ひとまずケバブを頼んで腹ごしらえを済ませると、
ダメもとでこの辺でタクシーを呼べるかを聞いてみた。
タクシーか~、と頭を悩ます店員のお兄さん。

そうですよね、そりゃないっすよね。
もう聞く前からないのは分かっていたが、これはやっぱりない様子。

まぁ歩いても30~40分で着くって書いてあったし、ここは歩いて行こうかとすると
「俺が車で送っていってあげるよ」と言ってくれるお兄さん。

マジっすか!!

まさかの優しすぎるお誘い。
もうホント感謝の気持ちでいっぱいで、
ひたすらメルシーメルシーと言いながら車に乗せてもらうことにした。

お兄さんの車に乗り込み、トンネルを越え坂道を駆け上がる。
周りは森に変わり、微妙に紅葉が始まっている木々が奇麗だった。
10分もしないうちにたどり着いた駐車場も美しい景観の中にあり、ますます高まる期待。
礼拝堂の入り口にたどり着くとそのままお礼を告げ、
去っていくお兄さん。
こういう時にお金以外で感謝の気持ちを表せるものがあったりするといいんだけどな。
お金を渡すのは違う気がするし、かといってサッと渡せるようなものを持ってるわけでもない。
この時はただメルシーという言葉を何回も言うだけしかできなかった。

受付のおばちゃんに入場料を支払い国籍を聞かれたので「JAPAN」と答えると
あなた達の前に来た人達も日本人ばかりよ、と教えてくれた。
こんな辺鄙な所にある礼拝堂だがどうやら日本人には人気らしい。

おばちゃんに帰りのタクシーをお願いしてから早速受付を抜け、
坂道を登ると、緑の奥にそれが見えた。

真っ白な有機的な形をした壁に、牛の角のように飛び出したグレーのコンクリート。
緑の芝生の上に建ち、青い空に映える白とグレーのコントラスト。
なんともいえない奇抜な形に、無造作に幾つも空けられた四角い窓。

見た瞬間に、
あ~、これ好きだわ。
と思った。

図工の時間に子供が作った粘土がそのまま形になって生きているような、
素朴で、純粋で、どこか居心地が良い。
来て良かったと心底思った。
これを見ずにパリを出ていたらと思うと恐ろしくなる。

しばらく外観をボーっと眺めてから、礼拝堂の中へ。

誰もいない静かな空間に、
幾つも空けられた四角いステンドグラスから光が漏れていた。

はい、一番好きな礼拝堂に決定。

こんなにも衝撃を受けたのはサグラダファミリア以来だった。
空間、景観、形、色、空気
全てが美しすぎる。
最初は礼拝堂の設計に前向きではなかったコルビュジェが
この地に来て設計を引き受ける事を決めたというのが頷けた。
この場所だからこそ、この礼拝堂が出来たに違いない。
全てが素敵すぎる。
しかもこの空間を二人で独占出来る事が幸せで仕方なかった。
いつまででもいたくなるような心地いい空間。
広い訳じゃないのに気づいたら2時間以上も滞在していた。

十分礼拝堂も空間も満喫した後は、5時くらいに迎えにきたタクシーに乗り
Lure駅へと戻ってまた4時間かけてパリへと戻った。


それでは写真のハイライトで。







ロンシャンの町














礼拝堂の周り















礼拝堂

2012/12/21

パンツマンとの闘い





ー 10月23日 ー
今日はフランスで最も有名な宮殿、ヴェルサイユ宮殿へと電車で向かった。

ヴェルサイユ宮殿はルイ14世が莫大な費用と49年という歳月をかけて完成させた豪華絢爛な宮殿。
あのフランス王妃マリー・アントワネットが自由奔放な暮らしをしていた宮殿としても有名だ。
子供ができてからはその生活ぶりも変わったみたいだけど。

駅を降り、まず驚いたのは霧。
もう完全に不安な気持ちにさせるほど霧が出ていた。

入り口付近にたどり着いても何も見えてこないヴェルサイユ宮殿。
「ホントはここからもう見えるんだけどね」と以前来たことのあるちぃが言う。

そっか~、
マジで何も見えないんですけど。

なぜか嫌がらせとしか思えないほどの霧が発生している。
これはこのまま今日行っちゃってもちゃんと見えるのだろうか。
なんか庭園がハンパなく広くてすごいとか言われてるんですけど、
それは見えるのだろうか。

もうこの状態だと見えないことは明らかだった。

といっても日にちを変えるのもなんなので、
とりあえずチケット売り場の長蛇の列に並び、霧が晴れることを祈った。
予想以上に時間のかかるチケット売り場。
なんとかやっと売り場にたどり着いた時、横にクレジットカード専用の機械が見えたので
最初からそれのインフォメーションが欲しかったと心底思った。
それもっと全面に出してくれればもっとスムーズに行けるでしょ。

とにかくチケットをゲットし、オフィスから外に出ると、
さっきよりは明らかに霧が消えてきていた。
ナイス。
やっと外観が見える。
あとは中を巡っている間に霧が晴れてくれれば庭園も拝むことが出来るはず。

日本語オーディオガイドを聞きながら巡る宮殿。
幾つもの部屋に分かれ、派手な装飾や多分に使われた黄金は確かに豪華絢爛。
鏡の間も圧巻の豪華さなのだが、なぜかオペラ座の方がすごかった気がしてしまった。
ん~、イマイチ感動の薄いヴェルサイユ宮殿。

それよりも修学旅行でここを訪れている日本の学生達の方が気になって仕方がない。
私立のいいとこの子達なのだろうか。
心なしか教師達の方がはしゃいでいるようにも見えるけど、
修学旅行でヴェルサイユ宮殿とは驚いた。

宮殿を出て庭に向かうと徐々に晴れ間も見え、薄れてきている霧。
まだ完全に消えたわけじゃないが、庭園の全貌がなんとなく分かるまでにはきていた。

しかし広いな。
キレイに整えられた緑がどこまでも続いている。
確かに歩いて全てを見て回るには大変そうだ。
しかも寒いし。
もうちぃはチアノーゼになりそうだし。

そうだ、帰ろう。
寒いし。

なんか思った程感動しなかったし。
寒いし。

というわけで庭園をチラ見しながらヴェルサイユ宮殿を後にした。

夕方4時くらいに戻ると、
ガイドブックに載っていたうまいと評判の「カレット」のエクレアを購入し、エッフェル塔へ。
実はクロワッサンと同じくらい好きなエクレア。
パリのエクレアなら間違いなくうまいだろうと、
エッフェル塔のベスポジにある階段に腰掛け試食タイムへと移行した。

味は、、、、

うん、普通。

ってか日本のコンビニの100円のエクレアの方がうまいわ。

これはとてもショックな出来事だった。
パリのエクレアよりも日本のコンビニのエクレアの方がうまいなんて。
もうハンパないがっくし感。
もしかしたら選んだ店が良くなかったのかもしれないが、
とても残念な気持ちのままエッフェル塔をただ眺めていた。

エクレアにがっくしきた後はルーブル美術館の地下のラデュレで差し入れ用のマカロンを購入。

というのも、なんと今日の夕飯はめぐみさんのお家で頂くことになっているのだ。
お互いアート・デザイン系だし一度話をじっくり聞いてみたかった。

地下鉄を乗り継ぎたどり着いためぐみさんの家。
玄関に上がると小さな男の子が出迎えてくれた。
めぐみさんの息子のジャド。
モロッコ人の元旦那さんのとの間に生まれたハーフの男の子だ。
ただ最初はうちらを警戒して何も話してくれない。

部屋に入るとジャドの落書きがいっぱい壁に貼ってあり、
とても可愛らしい雰囲気の部屋。

うちらはテーブルで待たせてもらうとめぐみさんの手料理の肉じゃがと炊き込みご飯が登場した。
「普通だったらフランス料理がいいかなとか思ったけど、
二人は旅も長いし日本料理の方がいいでしょ」とめぐみさん。

分かってらっしゃる。

「はい、肉じゃが、炊き込みご飯、最高です」
おかわりもあるからね、ということで、
がっつり頂かせてもらいました。

久々の家庭的日本料理にハンパなく癒され、
めぐみさんの今に至るまでの経緯や昔の仕事の話など色々話は尽きない。

話は尽きないのだが、途中からうちらに慣れてきたジャドが
俺にゲームを挑んできたため俺は話から離脱することとなった。

ゲームの名前は「MIKADO」。
これはお菓子のポッキーのフランスバージョンの名前なのだが、
ゲームにはポッキーくらいの適当な長さの細い木の枝を使う。ルールは至って簡単だ。
要は将棋崩しと同じルールで、積み重ねた木の枝を音を立てずに、
他の木の枝も動かさずに抜いていき、多く抜いた方が勝ちというもの。

いざ始めるとジャドのせこさが遺憾なく発揮された。

「あっ、動いた」
「はい、だめ~」

間違いなく動いていなくても、強制的にジャドの番になってしまう。
しかも自分がミスった時には
「あ~、これはあなたのせい、まだわたしの番ね」と人のせいにしてくるジャド。
しまいには動いても音を立てても、
何か決まった言葉を言えば全てオッケーのルールを追加してきた。

もうゲームの根底を覆してきたジャド。
そうなったらと俺もその言葉を使うのだが、
「それはそんな何回も使えないからダメだよ」と笑いながら言ってくる。

「ジャドまじずるいわ、じゃああと何回使えんの」
「あなたはあと2回ね」

人のことを「あなた」自分のことを「わたし」という、
家では日本語、外ではフランス語を操るジャドの日本語はとても面白い。
めぐみさんはその言い方はやめてほしいみたいだけど。

ルールが崩壊しても何度もゲームをしたがるジャド。
こうなるともう最終的には電気アンマを食らわせるしかなくなってしまった。

それからはひたすら俺に挑んで来るジャド。
するとなぜかズボンも脱ぎパンツマンと化して勝負を挑んできた。
どうやらこれが本気の姿ということらしい。
その度にとりあえず電気アンマを食らわせるのだが、なかなか諦めないジャド。

しかも俺の次にはめぐみさんにまで挑んで行く始末。
最終的にはめぐみさんと二人でパンツマンを倒し勝利を収めた。

といった感じで俺はずっとジャドと遊んでいたため、
めぐみさんとじっくり話すことはできなかったのだが、
とても楽しい時間だった。
あと10年もしたらジャドは相当でかくなるに違いない。

ごちそうさまでした。
楽しい時間をホントにありがとうございました。


それでは写真のハイライトで。























ヴェルサイユ宮殿




「カレット」のエクレアとタルト













めぐみさんの家でディナー