2013/01/12

一面雪景色?





ー 11月15~16日 ー
11月15日、
宿をチェックアウトするとオーナーの紹介で甥がやっている旅行代理店へ。
イスタンブールにいる間に是非押さえておきたかったのが、
パムッカレからギョレメ(カッパドキア)までの夜行バスと
カッパドキアのサンライズ気球ツアー&カッパドキアを巡るグリーンツアーだ。

しかし、いざ行ってみるとそう簡単にもいかなかった。
まずパムッカレからギョレメの夜行バスはここではとれないということ。
もう一つはホテルやピックアップなど全て込みのパックで勧めてくるため、
単体でツアーだけ申し込むとそんなに安く感じなかったことだ。
どうも全て込みのパックで申し込ませたいらしい。
それは仕事柄仕方ないのかもしれないが、その無理矢理感がちょっと煩わしく、
悪い人ではないんだろうけどちょっと良い気はしなかった。

まぁでもお世話になったオーナーの甥だし、
夕方のフライトまで荷物もここで預かってもらうため、
とりあえず気球ツアーとグリーンツアーだけはお願いする事にした。

ただツアーの時間とかもうちらから聞かないと答えないし、しかも曖昧だし、
ツアー会社の連絡先は記載されてなかったりで多少不安は残る結末。
それでも何かあればうちに電話すれば絶対大丈夫だ、と自信満々に言うので、
心配になりながらも甥の旅行代理店を後にした。

荷物を預けまず向かった先は様々なオスマン朝の君主が増築を重ねた居城トプカプ宮殿。
約400年にわたってオスマン朝の中心地として栄えていた場所だ。
現在は庭園やハレム、宝物館などを見学する事ができ、
ハーレムの語源ともなったハレムには一時期400~1000人もの側室がいたというから驚きだ。

トプカプ宮殿へと歩いて向かっていると、向こう側からやってくる大量の小学生。
すれ違う度に満面の笑みを浮かべながら「ヘッロー、ヘッロー」と挨拶をしてくれるのが
可愛かった。中には「What your name?」と名前を聞いてくる子までいて、
教えると「KOTA、KOTA」と連呼していてこれがまた可愛かった。

宮殿の近くになると今度は日本語で話しかけてきた若いトルコ人男性。
嫌な感じがしなかったので、そのまま話をしていると日本語のうまさに驚かされた。
日本にも行った事がある彼は日本にすごい好感を持ってくれていて、
今日は家族のカードを受け取りに来たんだなど色々話してくれた。
さすが親日国だけあって日本語が堪能な人が多いトルコ。
ただ良い奴か悪い奴かを見極めるのも勘でしかないのが難しい。

トプカプ宮殿は中には入らず外の庭園でまったりし、
その後は近くの大衆食堂で昼を食べてから荷物を受け取り空港へと向かった。

夕方にTurkish Airの飛行機に乗り込み、デニズリの空港に着いたのは夜の7時頃。
空港を出ると航空会社のバスがすでに待機しており、なんとそのまま市内への送迎付(有料)。
パムッカレへ向かううちらは途中小さなバンに移され、
ホテル名を告げるとホテルまで連れていってくれた。
そこまで航空会社が手配してくれているとは思ってもいなかったのでびっくり。

真っ暗な中パムッカレのホテル「ALiDA HOTEL」に到着すると、
これまためちゃうまな日本語でホテルのご主人ハカンさんが出迎えてくれた。

すげぇ、こんな日本語しゃべれる人が沢山いる国他にないでしょ。

しかもハンパなく優しいハカンさん。
着くなりトルコ定番の紅茶でもてなしてくれて、
話しているうちにザクロジュースやらレモンティーやらフルーツまでだしてくれる。
驚いたのは15年も日本に住んでいたということ。
他にも昔吉祥寺に住んでトルコ料理屋をやっていたなど色々な話をしてくれた。
奥さんもめちゃくちゃ優しくて素敵すぎるご夫婦だ。

チェックインを済ませ、部屋に荷物を置くとちょっと散歩に出かけることにした。
なんといってもホテルから見える雪山のようなパムッカレの石灰棚が、
気になって仕方なかった。
パムッカレに来たのもこの段々畑に雪が積もったような石灰棚を見るのが目的だ。
(パムッカレというのはトルコ語で「綿の城」という意味らしい)

雪山のような石灰棚を不思議に思いながら夜の公園を散策し、今日は終了。


11月16日、
朝起きると、2階のテラスで朝食タイム。
外を覗くとハカンさんとお父さんがザクロの収穫をしにトラックで畑に向かうところだった。
朝食を食べ終えると、奥さんに知り合いの旅行代理店まで連れて行ってもらう事に。
とりあえずここで手配しておきたいのが今日のギョレメ行きの夜行バスチケットだ。
案内してもらってたどり着いたところがなんと、パムッカレで有名なラム子の食堂を経営する
日本人女性の旦那さんが経営する旅行代理店だった。
旦那さんは日本語が喋れるわけではないが、とにかく日本の地名をまくしたて始める。
しまいには「さかなさかなさかな~、さかな~を食べると~」
と懐かしい歌までノリノリで口ずさんできた。
かなり適当な感じのおじさんで軽く心配になったが、
とりあえずギョレメ行きの夜行バスチケットをゲット。

そのまま辺りをプラプラしたあとは、お昼に奥さんの手料理を頂く事にした。
頼んだ料理は奥さんオススメのトマトスープ、ピリ辛チキンにピーマンのライス詰め。
真心こもったトルコ料理がホントに美味しかった。

その後もパムッカレに向かうまでの間は辺りをプラプラ。
特に何がある場所でもないのだが、田舎な感じがちょうど良く、
道端で出会ったおじさんは笑顔でザクロを一つくれたり、
ゴールデンレトリバーが道路で気持ち良さそうに日向ぼっこしていたり、
温かくゆっくりした時間が気持ちよかった。

そして準備を済ませるとついにパムッカレのメインである石灰棚へ。
ここは土足厳禁なので、入場料を支払い入り口を通ると靴を脱ぎ石灰棚へと入った。
日の光に照らされた真っ白な石灰棚はまさに雪景色。
これが雪じゃなくて石灰だという事が不思議でならなかった。

裸足で石灰の上を歩いて登って行くと、
所々溜まった水が不思議なくらい青くて奇麗だった。

最初のうちは冷たい水も、登るにつれ徐々に温度が上がってくる。
実はここは古くから温泉保養地として発展してきた場所なのだ。
この白い石灰棚も台地の上から流れ出る石灰成分を含んだ湯が結晶して造られたもの。
また石灰棚のそばに併設されたヒエラポリスは紀元前190年頃に栄えた一大ヘルスセンターの跡だ。
ローマ、ビザンツ時代には神殿や教会が建設され、多くの人々がレジャーに訪れたらしい。

上の方までくると水着姿の外人が温泉気分を味わっていた。
さすが外人。

登りきった後は遺跡を巡り、夕日タイムがくるまでまったり。
遺跡の周りはキレイに手入れされていて、花まで植えられている事に驚いた。
あとはカフェで紅茶だけ買って、パムッカレ温泉につかる外人を見て、
石灰棚に水が溜まった場所探し。
ところがどこも水が干涸びていて、黄色や黄土色に変色しているところさえあった。
どうやら残念ながら今はベストシーズンではないらしい。
ハカンさんも11月いっぱいでホテルは春まで休みに入るって言ってたし。

水があまりないことに軽くショックを受けながらも、
夕日タイムになると再び石灰棚巡り。
辺りは足湯をしながら夕日を眺める観光客達に埋め尽くされていた。

これといってすごい夕日が見えたわけではなかったが、
石灰棚に溜まった青い水がオレンジに染まる姿は美しかった。
夕日が落ち着いたくらいでうちらも足湯をし、あとは石灰棚を下って帰ることに。

いざ靴を脱いで下り始めると、
登って来た時よりも水かさが増していて、水が流れる勢いも早くなっていた。

これは意外に危ないな。

そう思っていると、後ろからやってきたフランス人老夫婦。
水の流れに躊躇しながらもゆっくりと降りて来ていて明らかに危なかった。
これでコケて骨折とかしたんじゃシャレにならない。
ちぃに荷物を持ってもらい俺がおばあちゃんを支えていると、
おじいちゃんを支えてくれたもう一人の女性。
話をするとこの女性も日本人だった。

老夫婦はトルコを色々廻っているらしく、住んでいる場所はリヨンらしい。
英語もあまり通じなかったので大して話す事もできなかったが、
フランスに先月行ったばかりで、フランス人と話をすることができたのが嬉しかった。

結局日本人で最後まで老夫婦を支えながら一緒に降り、
「メルシーオヴァ、ボンボヤージ!」と言って別れた。

宿に戻ると、まずはパッキング。
普通の宿なら午前中にチェックアウトしなくてはならないのだが、
ハカンさんが、夜行バスで今日の夜出るならそれまで部屋を使ってていいですよと
言ってくれたのだ。そして紅茶を出してくれるハカンさん。

優しい。
優しすぎる。

しかもちぃの妹が来年トルコに行くかもと伝えると、
うちにくるなら空港まで迎えに行くし、1泊の値段で3泊くらいしてくれていいですよ、
と言ってくれた。ただでさえ1泊の値段が安いのに、心配になるくらいの優しさだ。

夕食はラム子の食堂にて親子丼とチキン生姜焼き丼というTHE日本食。
宿に戻るとハカンさんに手ぬぐいをプレゼントし、ハカンさん夫婦と写真を撮ってもらった。
是非もう一泊くらいしたい素敵な宿だったが、
チェックアウトすると弾丸スケジュールのため夜行バスでギョレメへと向かった。


それでは写真のハイライトで。





トプカプ宮殿の庭と周辺






ALiDA HOTEL



夜のパムッカレ




パムッカレ散策





ラム子の食堂




奥さんの手料理


























石灰棚と遺跡

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